それがたとえ、儚い願いだとしても。
神さまが、許さなくても。




願いに祈りを




「……」
「……」
「……?」
「……ク、クローム、どうしたんですか? その髪は」
凪がクロームになって間もなく、犬と千種と合流した最初の夜。
夢の世界で出会った骸は、クロームをみつめて驚いたように目を見開いていた。
「あ、今日、犬が切ってくれました」
骸と同じ、犬曰く「ナッポーヘア」になったクロームは、短くなった髪に触れて淡々と答えた。
けれど骸はがくりとしゃがみこんでいて、指先で額を押さえている。
いつも穏やかな笑みを浮かべている顔も、呆れまじりの笑みとなり、こめかみあたりがピクピクと痙攣しているようにみえた。
「あの、骸様?」
どうしたのだろうかと顔を覗き込めば、手で制されてなんでもありませんよと微笑まれてしまった。
「あ、もしかして、似合いませんか?」
それとも、自分とおそろいになってしまったことが、嫌なのだろうか。
どうしよう。
ジグザグに入った分け目や、頭頂部の跳ねた髪は直すことが出来るが、長さまではどうすることも出来ない。
なんとなく骸が喜んでくれる気がしていただけに、自分の思い違いがひどく恥ずかしかった。
せっかく、はじめて自分を受け入れ、認めて必要としてくれたひとなのに。
「ご、ごめんなさいっ、私……っ」
思い詰めたクロームは、いますぐ夢から覚めようと思った。
けれど、骸がクロームの腕をとってそれを止める。
「ああ、すみません不安にさせてしまいましたか。そうではなく、その髪型は全く問題ないのですが、女性の髪の毛を勝手に切った犬に、少々呆れていたのです」
「あ」
優しく微笑まれ、クロームは強ばっていた身体の力を抜いた。
肩より少し長かった自分の髪。
今は首筋がスースーして、シャンプーしたら少ない量で泡立ってなんだかおかしかった。
骸様も髪を洗うときは、このくらいの量で洗うのかななんて思ったら、嬉しいようなくすぐったいような、不思議な気分になれた。
「すみませんでしたクローム。犬にはいずれ僕から、よく言って聞かせておきますから」
「いえ、いいんです」
骸の視線を真っ向から受け止めて、クロームはかぶりをふった。
「私、この髪型が好きです。骸様とおそろいなことが嬉しいです。だから、骸様がいいのなら、このままでいたいから」
本当は、それだけじゃない。
骸はともかく犬と千種に、クロームはまだ認めてもらえていないから、少しでも骸の姿を形どることで、受け入れてもらえたらと思っている。
そんな風に考えてしまう自分を、少しだけ恥ずかしく思い、クロームはうつむいた。
「クローム」
そっと骸の手がクロームの頬を包み、顔を上向かせられる。
「──ありがとう。お前にそう言ってもらえると、僕も嬉しいですよ」
骸の笑顔に答えるように、クロームは瞳を少しだけ潤ませる。
命を救われたから、自分を求めてくれたから、それだけじゃないなにか温かな気持ちが、ぽっと胸にともる。
このひとの役に立ちたい。そう、強く思った。
「気持ちは嬉しいですがクローム、無理はいけませんよ? 君に万が一のことがあっては大変です」
「っ」
思考を、もしかしなくても読まれてしまっただろうか。
よく親や先生には、なにを考えてるかわからないと言われてきたから、クロームの態度からわかったというわけではないだろう。
「……あ、ごめんなさい。私になにかあれば、骸様が出てこられなくなるのに」
ひどい思い違いをしてしまった。
自分なんかに助けられなくても、骸には犬と千種がいるし、なにより骸自身がすごい力を持っているのに。
「こらこらこら。なにを考えてるんですか? 君は僕にとって大切だと言ってるんです。謙虚なのは日本人の美徳といいますが、すぎればそれはただ卑屈なだけですよ」
つんと額を指先で押され、クロームはまたうつむいた。
顔が、赤いと思う。
ひりひりと焼けつくように熱いから。
「それから、お前はなにか勘違いしていますが、お前が思うほどお前は表情が乏しくありませんよ」
「え」
そんなこと、いままで言われたことがなかった。
どこにいても、なにをしていても、笑わない子、可愛くない子、なにを考えてるかわからない子。
それがこれまで多く、凪に与えられてきた評価だ。
「おや、いけませんね。そんな有象無象の言葉に耳を傾けることなどありませんよ。所詮はお前を、個人として扱う気もなかった連中です。自分の都合のいいように、お前を解釈しているだけに過ぎないんですから」
「でも」
自分でも、そう思うのだ。
死を実感したとき、自分は間違いなく安堵した。やっとこれで全部、いろんなものから解放されるんだと喜んだ。
死すらいとわないこの心や、人生に執着しないのは、なにもなかったからだと思うのだ。
思いも、心も、望みも未来も、からっぽだからだと思うのだ。
「それは、お前が気づいていないだけです。現に、僕はお前の考えが手にとるようにわかります。なぜか、わかりますか?」
「……いえ」
精神を共有しているといっても、骸はクロームのプライバシーまで踏み込んではきていない。
だから、クロームの心を読んだわけでもないだろう。
でもそうなると、クロームにはなにも浮かばなかった。
「すみません、わからないです」
「では、宿題にしましょうか。なんてことはない単純な理由ですよ」
「単純……?」
「ええ」
やはりわからない。けれど骸のまとう空気が、声が、言葉が、ひどく優しいから、クロームはゆっくりと焦らずに思考を巡らせる。
「まぁ、答えがシンプルであればあるほど、わかりにくいものですからね。ゆっくり考えてください。お前の人生はまだまだ長いのだから」
そっと毛先をつままれ、骸の長い指がクロームの髪をもてあそぶ。
口元に浮かぶ笑顔は、たしかに楽しそうで、クロームも口元がほころんだ。
「いつか、そうですね。なにもかもが過去になり、犬と千種と僕とそしてクローム、お前とでそれを笑い話にでもしたとき、お前が僕と同じ気持ちでいるのなら──」
ふと言葉をとめて、骸はかぶりを振る。
「骸様?」
「いえ、なんでもありません。いまの僕には、過ぎた未来なのかもしれませんね」
「そんなことっ」
骸の現状はしっている。
クロームはそこから、骸を取り返したいと思っている。
それでもし、骸の代わりの自分がいらないと言われても、それでもいいから、骸を救い出したいと思っている。
きっと、犬や千種も同じ気持ちだ。
そうに決まっている。
だって自分たちは、骸に救われてこうしてここにいるのだから。
だというのに、それを上手く伝えられなくて悲しい。言葉にならない思いが、溢れだしてしまいそうだ。
「クローム、僕はお前にそんな顔をさせるほど、ひどいことを言いましたか」
困ったような笑みに、違うと首を振った。
それだって、全部、クロームの勝手な望みなのだから、骸が悪いはずもない。
「大切にしたい、守りたい、そう思いながら僕はお前を傷つけるでしょう。それでも、お前が傍にいてくれて、いつか本当の僕とともに生きてくれたなら──」
祈るような声に、言葉に、骸を抱きしめたくなった。
けれどそれは出来ないクロームは、ふるふると首を振って、泣き出しそうなのをこらえて、じっと骸の目をみつめた。
「私、私は、骸様の物だから。骸様が私をいらないって、必要ないって思うまで、傍にいさせてください」
いつかそんな日がくるんだろうという思いが、漠然とあった。
けれど、それでもよかった。
猫を助けて死んだ日とは違い、幸せな気持ちを胸に自分は逝けるだろうから。
声が震えてしまいそうになるのを我慢して、クロームはずっと傍にいたいと口走りそうになるのを必死でこらえた。
うつむいている彼女は気づかない。
骸が、彼女の言葉に痛みを覚えながら、歓喜していることを。
「クローム」
「はい」
骸に促され、泣きそうなままの顔をあげれば、優しく抱き込まれた。
「ひとつ、約束しましょうか? 最初に言っておきますが、これは命令ではありません。拒否権はお前にあります」
「はい」
「お前の命がある限り、僕とともにいてください」
低く、優しく。耳元に囁かれた言葉は、クロームの胸の中に満ちて、とぷりと揺れた。
視界がにじむ。
どうしてだろう。どうしてこんなにも、強く心が揺さぶられるのだろう。
「──……はい。私は、ずっと骸様といます。傍に、いたいです」
言うなり、骸の大きなてのひらがクロームの耳元から、短くなった髪をかきあげるように動いた。
至近距離で色違いの目がクロームを写し、どこか熱を帯びた瞳とかちあった。
「ありがとう」
そう言って微笑んだ骸は、クロームの額に口づけを落として、抱く腕に力をこめた。
「ありがとう。僕の、可愛いクローム」
骸の声も震えている気がした。けれどクロームは、それを勘違いと思いただ骸の胸に顔を埋めた。
叶うなら、許されるなら、ずっと共にいたい。
そう、強く願いながら――。






END
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恋人同士ではなく、想いが向き合いながらも主従を貫いてるムックロが好きです。
骸さんはごく普通の女の子だった彼女にいくばくかの罪悪感を持ってたり、髑髏ちゃんは非力な自分にコンプレックスを持っていたり、あと一歩で通じ合えるのにすれ違いつついちゃこいてほしいなぁと思います。
あ、骸さんの「宿題」は推して測るべしです。ムックロです。

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