毎日みていたはずの背中。
なのに不思議だね、どんどん遠く感じる。




きみの背




「おかしいなぁ。あたしの方が先を歩いてたはずなのに、いつの間にかあたしは日番谷くんの背中を追いかけてる気がする」
ぽつりともらした呟きは、目の前でうどんをすすっている少年にも聞こえたらしい。眉間のしわをこれ以上ないくらい深く刻んだ日番谷は、変なものでもみるような目で雛森をみた。
「……お前、大丈夫か?」
「どういう意味?」
胡乱な目線ににっこり笑ってやれば、日番谷は口をつぐんで残りのうどんをすすった。
日番谷の署名が必要な書類を持ってやってきた十番隊の執務室、松本は席を外しているそうで遅い昼食をとっている日番谷を待つ雛森は、手持ち無沙汰でソファに寄りかかった。
「だって、死神目指したのも死神になったのもあたしの方が先なのに、興味ないって言ってた日番谷くんはいつの間にか隊長さんなんだよ」
「単に実力の差だろ。いまさらなに言ってやがる」
「それはわかるけど、やっぱり悔しいじゃない」
日番谷が死神になった理由を、彼は教えてくれない。
だけど真央霊術院で再会したときに、死神になる理由を雛森を守ることにしてもいいかもしれないとぽつり言ったのだ。
どこか冷めた目で。
流魂街にいたときだってどこか冷めた少年だったけれど、もっと違っていた。
雛森相手だとすぐにむきになって感情を顕わにして、怒ったり怒鳴ったり照れたりするような、どこにでもいる男の子だったのに。
いまではすっかり隊長さんだ。
「あたしだって、守りたいのに」
雛森が最初に死神を目指した理由だって、友人や家族を守りたかったからだ。
ちょっとむくれた声が出るのは、ちょっとした劣等感からだろう。
うどんをすするどんぶりを傾け、汁を最後まで飲み干した日番谷は空のどんぶりを机の端っこに置くと、汁が飛ばないよう脇に寄せていた書類を引き寄せた。
「……お前にゃ充分守られてるよ」
「え?」
「言っとくけどな、俺だって万能じゃねえんだ。目標もなくこんなところまで上り詰めるわけねえだろ。面倒くせえ」
さらさらと署名を終えた書類を眼前に突きつけた日番谷が、鼻にシワを刻んで雛森を見据える。
ああ、シロちゃんだ。
声には出さずに思って、どこかでほっとする自分に気づく。
本当に時々、彼は幼い表情をみせることがある。
それが雛森には嬉しいことだった。
口に出せば機嫌を損ねるのがわかるから、本人に向かって言ったことはないけれど。日番谷隊長じゃない日番谷冬獅郎の顔をみせてくれるということは、雛森に気を許してくれているということだから。
シロちゃんと呼び、桃と呼ばれた日。
あの頃に戻りたいと思ったことはない。
だけどときたま、ふと胸を刺す痛みとともに無性に懐かしくなることがある。
「断言したっていいぜ。俺はお前が近くにいなけりゃロクでもねえガキになって、死神目指したところでまともな力の使い方もしなかった。ってな」
「なにそれ」
書類を受け取りながら心底意味がわからずに、ぱちくりと目を瞬かせれば相変わらずの仏頂面がそのままだと告げた。
「お前がいつでも馬鹿みたいに四六時中ヘラヘラして俺のことかまったり、悪意なんてこの世には存在しないみたいな顔して傍にいてくれたり……」
「あいたっ」
一瞬日番谷の頬に赤味が差して、ぺしりとおでこを軽い力ではたかれた。
「つーか、妙なこと言わせんじゃねえよ。バーカ」
照れ隠しだ。ものすごい照れ隠しだ。
言葉には出さずに雛森は、まったく別のことを言った。
「あたしが言いたいのはそういうことじゃないよ? あたしがいなくったって日番谷くんはちゃんとしてたし、死神になったら真面目に働いてたよ。絶対。断言したっていいよ」
たしかに、流魂街で日番谷は悪目立ちをしていたかもしれない。
雪のような銀色の髪も宝石のような緑色の瞳も、他の誰も持っていなかったから。
でも雛森がなにをしたっていうんだろう。
日番谷の外見が少しひとと違っていたことを、そんなに重くとらえなかった。
いまなら、それがあの閉ざされた世界においてひどく悲しい想いを生むとわかるけど、あの頃の自分はそんなに難しいことに気づくことさえ出来ずに笑っていただけだ。
なのに日番谷は思い切り怪訝な顔を隠そうともせず、無言で自分の席に戻ってしまった。
その背中の、十の一文字。
小柄な身体はあの頃のままだけど、あの頃とはもう違う。
まっすぐに伸びた後姿は彼の努力の証だ。
わかっている。彼はもう隊長さんで、雛森の届かない世界で戦っていると。
自分はいま副隊長だけど、隊長になれる器を持っていないことにも気づいているから、この差が縮まることは二度とないだろう。
でも。
「日番谷くん」

呼ぶと、振り返ってくれる。
「なんだよ」
ぶっきらぼうな口調はそのままに、彼の瞳には優しい暖かな光が灯っている。
死神になる前の、あの悲しい冷たい瞳はもうそこにはない。
「ううん。呼んでみただけ」
「……とっとと仕事戻れよ」
「はぁい」
くすくす笑って立ち上がり、書類を持っていることをしっかり確認して執務室の扉に手をかける。
「じゃあまたね、日番谷くん」
「へいへい」
視線もよこさない彼に、意趣返しをしてみようかとにこりと笑って一言投げつけて執務室を辞した。
閉める扉越しの真っ赤な呆けたような表情は、次のからかいのネタにしてあげようか。
「その前に、乱菊さんにからかわれちゃうかな」
くすくす笑って廊下を歩けば、すれ違う十番隊隊士に挨拶をされて返す。
きっと変な副隊長だと思われていることだろう。

ねぇ、さっき呼んだのはね呼びたかったからだよ。
大きさは変わらないけれど、大きくなった背中に飛びつきたくて。
でもいまは仕事中だから。

「――ふわっ」
突然腕を引かれて、手近な部屋に引っ張り込まれた。
反応出来ずによろけた身体を、しっかりと支えてくれる手。
そして、口唇に落ちた体温。
「……お前が妙なこと言うからだからな」
合わない視線と赤い耳を残像のように残して、去っていく背中を呆然と見送った雛森は、口を両手で押さえてその場にぺたりと座り込んだ。
「……余計、飛びつきたくなっちゃうじゃない」
思わずこぼれた言葉は、無人の室内に小さく響く。
雛森よりも小さな、大きな背中。
きっと自分はいま、日番谷よりももっともっと赤い顔をしていることだろう。





END
------------------------------
結論・どっちも守りたくて守られてる

inserted by FC2 system