はじまりの前の日。
いつかまた帰ることが出来るのだろうと、信じていた。




ある日、彼らは。




こんな風に、他人を自分の傍に置くことがあるなんて、考えたこともなかった。
カタカタと室内に響くタイピングの音に耳をそばだてながら、ジャックはダイニングテーブルに一人座り、「負けないんだから!」と叫ぶ女の後ろ姿を眺める。
すでに寛いだ部屋着姿ののほっそりとした背中は、なんでそんなに元気なのかと思うほど溌剌としていて、やる気に満ち溢れていた。
「あ、ジャック。朝までかかると思うから先に寝ててくださいね。私の部屋使っていいですから」
視線を向けられないまま、思い出したように告げられた言葉に、ジャックはフンと鼻を鳴らしてソファから立ち上がった。
そのまま向かったのは、カーリーの私室ではなくて彼女の真正面の椅子だった。
「ジャック?」
いぶかしむような視線を向けられたが、気にせずテレビのリモコンを手にとって電源を入れる。
流れていたのはニュースで、取るに足らない話題をアナウンサーが解説していた。
「一応、貴様の世話になっている身だという自覚くらいはあるからな。家主より先に寝るなど、俺のプライドが許さんのだ」
自分でもよくわからない理屈を口にして、テレビに視線を向ければ、呆れたような諦めたような、柔らかな苦笑が視界の端に映った。年を聞けば自分とそう変わらないのに、たまにみせる年上然とした態度が気に食わない。
かといって、へりくだられたいわけでもないのだが。
「別に起きてるのはいいですけど、ここで寝ちゃわないでくださいね。私じゃ貴方を運べないんですから」
「フン、そのような真似はせん」
ディスプレイから視線をそらさないカーリーが、少し腹立たしくもなった。
こちらをみて、話をすればいい。
そんな自分の思いとは裏腹に、カーリーのほっそりとした指はリズミカルにキーボードを叩き、怖いくらい真剣にディスプレイを睨んでいる。
分厚い眼鏡の奥に、思ったよりも整った顔が透けてみえる。少し釣り気味の大きな瞳は、時たまジャックの時間を止める。
これまで色んな人間と対峙してきたが、サテライトにきてからただの一度も、デュエル以外で自分のペースをわずかにでも狂わされたことなどなかった。それが、こんな女に。いともあっさりと。
そう思うと無様だと思うが、悪い気はしなかった。
小さなテレビ画面や、部屋。
特に高級感もなければ、デザインがいいわけでもないソファや家具。
これまで自分を取り巻いてきた環境とは大きく違うこの空間が、ひどく心地いいのは何故だろうかとたまに思う。
あの日、遊園地まで付き合った後。自分はこの女の庇護下から抜け出すことくらいは出来た。
新たにやり直すと決意して、一文無しで、なら家にくればいいと言ってのけたこの女は、誰にでもそんなことを言うのだろうか。
自分の思考に、チリと腹の中が熱を持つ。こんな感覚も、これまで味わったことはない。
「なに怖い顔してるんですか? お腹空いたんなら明日の朝食用のパンありますから、適当に食べてください」
「違う」
「なら、テレビ見ててくださいよー。そうやってじっとみられてると、なんか緊張するじゃないですか」
そう言いながら、キーボードを叩くカーリーの指先はよどみなく動く。
カーリー渚。大きく分厚い眼鏡を取り去れば、そこそこ見られる容姿の女だ。記者をしているらしく、自分のことは嫌いだった。らしい。
みられると緊張すると言いながら、もう彼女は目の前の原稿に夢中になってしまっている。
これまでの経験からいくと、小一時間もすればカーリーは睡魔と全面戦争をはじめ、数十分ほどの抵抗をみせた後白旗を上げるだろう。けれどパソコンには決して被害を与えずにテーブルに突っ伏すのだ。
それほど長い期間行動を共にしているわけではないが、ジャックにもカーリーの行動パターンはほぼ読めてしまっていた。
その後で、彼女をベッドに運ぶのがここ最近の自分の役目だ。
本人は、原稿を上げたあと無意識にベッドに戻っているなどと言っているが、そんなわけはない。
「……おい、カーリー」
少しの間、さして面白くもないテレビ画面を視界の端に入れてみれば、案の定カーリーの目は瞬きを必要以上に繰り返していた。
いまにも陥落しそうで、ついその動きを目で追ってしまう。
「そんな状態ではまともな記事など書けんだろう。今日は諦めて寝たらどうだ?」
「そんなことしたら、また編集長にどやされちゃうんだから! 今日は寝ないって決めたの! ジャックこそ、眠いんなら寝ていいのよ」
「そういうことを言いたいのではない」
ため息に乗せて忠告しても、カーリーはテーブルにかじりついて離れない。
予測できたことではあったが、面白くもない。
居候の分際で、自分が彼女にどうこう権利もないだろうが、それでも心配なのだ。
小さな身体で、そんな風に思うまま振舞って暴れて、いつか疲れてしまうのではないかと。
「……もしかして、寂しいんですか? 相手をしてほしいとか」
からかいを含まない言葉が投げかけられて、ジャックは思わず息を飲んだ。
けれど、そうとは知られぬよう一蹴してみせる。
「馬鹿なことを言う暇があるなら、とっとと原稿とやらを仕上げるんだな!」
「あー! そっちから話題ふってきたクセに、それはひどいんじゃないの! まったく、いつでもどこでも偉そうなんだから」
ぷんぷんと怒りを隠そうともせずに、カーリーはキーボードを叩く。
この様子だと、テーブルに突っ伏して寝ることもなさそうだとこっそり安堵して、そんな自分に違和感を覚える。
一宿一飯どころか、彼女の家に住み着いてしまっている現状。恩も感じているから、世話を焼くことくらいはしてもいいとは思う。だがこれを恩に報いるための行為かと聞かれると、そういうわけでもない気がしてむずがゆい。
「…………」
不思議だと思う。
少し前までは他人なんて煩わしいだけだったのに、少し行きあっただけの他人と、生活を共にしていてそれが不快ではないどころか、こうして眠った後の世話まで焼いてやろうという気になるのだ。
手近なところにあった雑誌を適当にめくり、気づけば一時間は経とうとしていた。壁掛け時計をみてカーリーに視線を移せば、案の定というべきか彼女はテーブルに突っ伏していた。
「言わんこっちゃない」
小さく呟いて、つけっ放しにしていたテレビを消して雑誌をテーブルの上に放った。カーリーを起こさないように、慎重に物音を立てないように、ゆっくりと立ち上がってパソコン画面を覗きこめば、すでにスリープ画面だった。
操作をして確認すれば、原稿は終わってすでに送信済みらしい。
ならばとパソコンを閉じ、ずり下がっているカーリーの眼鏡を外した。
おそらく寝起き第一声は「ジャックー、私の眼鏡しらない?」だろう。
想像すると無意識に口元が笑みを形作るのを、止められなかった。
「まったく、情けないことだ」
起こさないよう最新の注意を払い、カーリーを抱き上げる。
力なく垂れ下がった腕をイスにぶつけないよう気をつけながら、カーリーの部屋のドアを足を使ってこじあけた。
暗い部屋に置かれたベッドに彼女の身体を横たえさせ、肩まで布団をかぶせてやる。
すっかり寝入ったカーリーは、目を覚ます気配もない。
唸ったりなにかを言っているようだが、ジャックには理解不能な単語の羅列だった。
なんとなくベッドに腰掛け、カーリーの寝顔をみつめた。
顔にかかった髪を払ってやり、彼女に触れた腕が、指先が、甘い痺れをもたらしたが素知らぬ振りをして、ジャックは音を立てぬようカーリーの部屋を後にした。


この感情の正体をジャックがしるのは、まだ先の話だ。






END
------------------------------
なかなかに難産でしたが(ジャックが…)やっと念願のジャッカリが書けました。
アニメがああいった展開だと、同棲時代に思いを馳せるしかないわけで。
無自覚両想いっていいよね!

inserted by FC2 system