もう、ダメかもしれないなんて。
情けない弱音を吐いてみた。




LOOP




「わー、涼しいですねぇ」
ふわりと風が吹いて、エルーの青い髪を揺らした。
宿屋の窓をあけただけで入ってくる風は、確かにひんやりとしていて彼女にとっては心地いいのだろう。
けれどキリは身を乗り出すと、エルーが横になっている窓に膝を乗せて窓を閉めた。
じろりとエルーを睨んでやれば、彼女は申し訳なさそうに眉を寄せた。
「エルレイン、あんた自分の立場わかってるか?」
常のものより低い声で言えば布団をかぶった状態の彼女から、ごめんなさいと小さな謝罪が返ってくる。
謝ってほしかったわけではないが、反省は必要だろうと判断してキリはそれを受け入れた。
「病人の自覚くらいしとけよ。熱出して寝込んでる人間が外の風に当たっていいわけねぇだろ」
「はい」
しゅーんと落ち込んで頭まですっぽり布団をかぶってしまったエルーに、キリはため息をひとつ吐くと、ベッドわきに置いたワゴンからリンゴをひとつ手に取った。
エルーが寝込んでいて自分もここから離れられないため、ファランに頼んで市場で買ってきてもらったリンゴは、真っ赤で艶々としていた。
「……エルー、具合悪いとこ悪いけど、オレの首触ってくれる?」
「あ、はい」
さっきまで落ち込んでいたくせに、こうして頼みごとをすれば素直に言うことを聞いてくれるエルーにばれないように小さく笑い、しっとりと汗ばんだ手の感触に、不快感よりもどこか心地よさを覚えながら、横になるエルーが辛くないようにと、自分は床にひいてあるラグマットの上に直に座って、するするとリンゴを剥きはじめた。
ウサギにでもしてやろうかと思ったが、食べづらいだろうから少し小さめにカットして皿に乗せる。
「キリさん」
もぞりと背後で動く気配に、エルーが寝返りをうってこちらを向いたんだろうと思った。
でも、振り向かないままキリは皿をエルーの枕元にあたりをつけて置く。
皿が沈んだ気配に手を離し、エルーの手を取って後頭部をベッドに乗せた。
「悪いな。本当ならお粥でも作ればいいんだろうけど」
「すみません」
「なんでエルーが謝るんだよ」
「迷惑をかけてしまっているのと、キリさんなんだか怒ってるようだったので」
振り向かないままのキリにエルーの表情がみえるはずもないが、きっと彼女はひどく申し訳なさそうな顔をしていることだろう。
熱を出して倒れてから、顔には出さないようにしているだろうがずっと心の中では自分を責めているだろうことは、想像に難くなかった。
こんな大変な旅の途中で熱を出すなんて情けない。キリの命を余計に危険にさらしてしまう。早く先に進まなければならないのに。
エルーの心の内なんて、だいたいこんなところだ。
「別に、怒ってないよ」
嘘じゃない。情けないと思っているのだ。自分も。
ずっと手をつないで行動して、互いの気持ちもしっていて、戦うための手段も得た。
そのことに、キリは油断しすぎていたんだろうと思う。
誰よりもエルーの近くにいるんだという、優越感もあった。
それがきっと今度のことを引き起こした。
エルーの病状は、深刻なものではない。
正真正銘ゆっくり休養すれば完治する風邪だ。
けれどキリが気にしているのはそこではない。
おそらくあったであろう兆候も、具合が悪そうな仕種も、キリはすべて見逃した。
エルーが倒れた瞬間まで、彼女の不調に気づけなかった。
フレアの力を持つ自分と手を繋いでいる限り、病気には絶対かからないという自負があった。
にもかかわらず、エルーが風邪をひいたということは、自分はそれだけ彼女に無理をさせていたと言うことになる。
仕方ないことと言えば仕方ないことだ。
これはトロイに苦しんでいるすべてのひとを救う旅であり、危険が伴うのは承知の上だから、多少の無理は必要だろう。
けれど、なんらかの対処をしていれば、きっとエルーが倒れることはなかった。
「私は、大丈夫ですよ?」
心の中を読まれたような言葉に、キリは一瞬ポーカーフェイスを忘れてエルーをみた。
目線が合ったからか、熱で真っ赤になった顔にほっとしたような笑みを浮かべたエルーが、もう一度大丈夫だと告げた。
「キリさんが私のこと、気に病んでくださるのは嬉しいんですが、そんな風に思いつめたりしないで下さい。悪いのは健康管理の出来ていない私ですし、お医者様も少し休めばすぐ治ると言ってくれましたから。こんな風邪、すぐ治っちゃいますよ」
自業自得とはいえ病人に励まされてしまっている事実に、キリは更に落ち込んでしまいそうになる。
なにをやってるんだ、オレ。
エルーの精一杯の励ましに、キリはぶんと大きく首を振って気持ちを切り替えた。
「ああ、そうだな」
笑ったキリにエルーも頷いて、キリの剥いたリンゴに手を伸ばす。
「あ、このリンゴ甘くて美味しいです」
「そりゃよかった」
なんて、どうでもよく頷きながらも、内心では当然だと笑う。
ファランには、何度も何度も言い含めて買いにいかせたのだ。
美味しくなければあのバッテンを、ばっさり切り落としているところだ。
「んじゃ、それ食ったらガッツリ寝て早く治せよ」
「はい」
安く請け負うエルーに、頼むぞと心中穏やかでなく呟く。
気を失ってしまった彼女はしらないだろうが、エルーが高熱で倒れたときはかなりの醜態を晒した。
きっとおそらく間違いなく、キリはこれからスイにそのことでからかわれるだろう。
出来ればそれは、今回限りにしてもらいたい。
感じたのは、いつかの聖アルル教会でゼズゥに一方的にやられたときのような無力感だった。
失ってしまうかもしれない。このまま、一生、彼女を。
トロイの発症かと一瞬疑った。怖かった。
なにも出来ないまま、こんなあっけなく失ってしまうのかと思った。
それを、エルーに伝えることはしないが、本当に怖かったのだ。
思い出すだけで、身体の芯が痺れて震える。
「エルー、約束してくれよ」
「約束、ですか?」
顔はみないまま、キリは頷く。
いま、自分の顔をみられたくなかった。
きっと、ひどく情けない顔をしているから。
「具合が悪いと思ったら、黙って我慢したりしないでオレにちゃんと言うって」
「……ごめんなさい」
ふいに落ちた沈黙に、キリはきまり悪く頭をかいた。
謝ってほしいかほしくないかと言われれば、言葉がほしいわけではなくて、反省さえしてくれればよかった。
もっというと、キリを頼ってほしかった。
辛いときは辛いと言って、寄りかかってほしかった。エル-にとってそういう人間になりたかった。
なんて、ちょっと女々しいなと恥ずかしくなる。
どういえば、彼女は自分を一番大事にしてくれるんだろうか。
いつもいつでもいつだって、誰かを優先させて自分は二の次。いざというときには、命を顧みずに駆けていく。
そのたびにキリは寿命が縮まるのを感じ、手の中にある温もりを、一生分失ってしまうような気がするのだ。
「約束します。もう無茶や無理はしません。――だから」
きゅっとエルーの手に力がこもった。
みれば彼女は微笑んで、キリをみつめていた。
熱のせいでか潤んだ瞳はいまにも泣き出しそうで、キリは動揺してしまう。
急激に上がる心拍数と、顔に集まりだした血液が温度をあげる。
エルーの顔をみていられなくて、床に視線を移して気持ちを切り替えようと努力する。
けれど意識は全部エルーへと向けられて、全然動悸が収まることがない。
「だから、私のこと」
私のこと、なんだ。
エルーはなにを言おうとしているんだと、キリは緊張してごくりとツバを飲み込んだ。
けれど、待てど暮らせどエルーは続きを言おうとはしない。
「…………エルー?」
嫌な予感とちょっとの安堵を胸におそるおそるエルーをみれば、彼女の瞼は固く閉ざされ、荒かった息は寝息へと変っていた。
「……マジかよ」
げんなりと肩を落としたキリだったが、彼女の顔色がよくなっていることに気づいてほっと息を吐き出して、ぺたりと額に張り付いている髪の毛を払ってやると、ほとんど手のつけられていないリンゴに手を伸ばした。
「……もう、言っちまおうかなぁ」
胸に秘めている想いを隠し続けることの厳しさに、キリはぽつりと呟いた。
その顔は、エルーの熱が感染ったかのように真っ赤だった。






END
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片思いの状態が辛くなってきました(わたしが) ちなみに、リンゴは涼しいところに置いておくと日持ちします。

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