気づけ。気づくな。
胸の中の相反する感情は、一体どこへ向かうだろう。




鈍感チャンピオン




「口の端、ソースついてるぞ」
「へ?」
指摘され、エルーは指先で口唇をぬぐった。
けれど指にはなにもつかない。
恥ずかしくて顔に血が上って熱くて、半分パニックになりながら、エルーはナプキンに手を伸ばそうとした。
「逆だよ逆。こっちこっち」
「――っ」
けれどその前に、キリの指先がエルーの口唇をなぞる。
少し固い指先の感触に、エルーは身体を固くした。
「あんたって、何気におっちょこちょいだよな」
真っ赤になっているであろう自分を不審に思うでもなく、普段のままのキリにこっそりとエルーはため息をついた。
もう何度となく共にした、ふたりきりの食卓。
宿屋の一室でとなりに座ってなんて光景、今更珍しくもない。
その中で、エルーは思ったことがある。

このひとは、とんでもなく鈍い。

それがよかったとは思う。
旅の間にエルーの気持ちがバレるのは得策ではないし、突っ込まれたらきっと自分は上手く誤魔化せない。
でも、いまみたいになんでもないような態度をとられるのも、少し寂しい。
わがままだなぁとは思うけど、それがエルーの本音でもあった。
「……スイさんみたいになりたい」
「はぁっ!?」
思わず、いまここにいないひとの名前をあげてみた。
彼女は現在、襲われたときの逃走経路やら周辺の地理やらなにやらを、ファランとともに探索中だ。
正確にいうと、どうしたって街中を歩けば目立つ自分たちの代わりに、それをしてくれているファランの背中を、スイが虎視眈々と狙っているだけなのだが。
フォークを噛みながら口をついて出た言葉は、キリにも届いたらしい。
ものすごいとしか形容できない顔をされ、穴が開くんじゃないかというくらい凝視されてしまった。
「なんですか?」
「なんですか? じゃなくてだな。なにが一体どうなってそんなことを考えるのか、オレはしりたい」
「そりゃぁ、私みたいなのがスイさんみたいにーっていうのは、目標が大きすぎて無理かもしれませんが」
「いやいやいや。待て待て待て。ちょっとちょっとちょっと」
「でもですねぇ、私も色々考えちゃうんですよ」
「おーい。話を聞いてくれ」
「スイさんくらい唯我独尊で、ゴーイングマイウェイで、自分勝手好き勝手やれたらいいなぁとか、思わないでもないわけです」
「やめてくれ、頼むから。ていうか一体なにがどうなってそんな話になったんだ」
心底疲れた顔をするキリにちょっと溜飲を下げながら、自分だけではキリの感情を揺らすことさえ出来ない事実に落ち込んだ。
スイはすごい。
綺麗なだけでなく、強くて、なにものにもとらわれず自由だ。
トラブルメイカーだし、正直勘弁してくださいという目にも遭ったが、やはりメチャクチャなひとだが、同じ女性として憧れる部分もあった。
そしてなにより、キリはスイの前だと素の少年らしい顔をみせている。
自分とスイでは立場も違うし、どうしたって些細なことを気に病む自分に、彼が気を遣ってくれてるのもわかるけど、やはりできたら戦闘面だけでなく精神面でも頼られたいなと思ってしまうのだ。
「なかなか難しいですよねぇ」
ふぅとため息をつきつつ食事を再開する。
キリの視線にも、その意味にも気づいてはいるが、エルーは気がつかないふりをした。
料理も上手いし、運動神経もいい。面倒見もよければ正義感もある。おそろしいほどポジティブで絵やなんかの才能もあって、察しもいい。
彼はこんなにもいろんなものを持っているのに、エルーには誇れるものがない。
どれだけ自分が狭い世界の中で生きていたか、些細なことで思いしらされる。
自分は彼になにをしてあげられるだろう。
なんて、何度となく思ってきたことだ。
「あれ、キリさん? どうしたんですか。顔真っ赤ですよ」
「……別に。つーかあんたもさ、独り言ならもっと小さい声でさ」
「はい?」
「いや、なんでもねー」
ふてくされたように視線をそらされてムッとする。
ふてくされたいのはコチラの方だ。
いつもいつでもどんなときでも、自分のペースを崩さないひと。
そんなひとが、こどもみたいに拗ねてそっぽ向いて、耳を真っ赤にしているのは少し面白い。
「なに笑ってんの」
「いえ」
ちぇっと舌を打つ姿は年相応の少年のようで、エルーはこらえきれずにくすくすと笑った。
「んで?」
「え?」
「スイみたいになりたいっていうのは、もういいわけ?」
「あ」
すっかりと抜け落ちていた。
スイのようになりたい。というか、キリになんらかの影響を与えられるひとになりたい。
少しでも彼の心の内側に入りたい。なんて、浅ましいだろうか。浅ましいだろうなー。
「まーた。あんたはすぐそうやって自分の世界に入ってくな」
「別に、自分の世界なんて」
入っていない。言い切れなくて誤魔化すように、皿の上のにんじんにフォークを突き立てて口に運んだ。
甘く煮詰めたにんじんは、エルーの口の中で溶けるように消えていく。
「少しはさ、自信もってみれば? そうしたらみえてくるものもあると思うけどな」
「? なんです?」
「まー当分無理そうだけどね」
「それって、遠まわしに私のことバカにしてます?」
「どうだろうね」
「というか、そういうのキリさんにだけは言われたくないです」
ずっとずっとずっと。頑張って押し込めている彼への想いを、悟ることも疑うこともなく、出会ったままと変わらぬ態度をとり続けるひと。
しらないだろう。
繋いだまま離すことの出来ないこの手さえ、エルーにとっては心臓にかなり負担を強いる行為だと。
気づいてないだろう。
風呂に入るとき、いつまで経っても慣れず止まらない動悸を。
エルーの一人相撲だとわかっているから、気づかれても困るし恥ずかしいしけれど、気づかれないままでいられるのも癪で。
「――」
ああ。なんだ。
結局はエルーのワガママでひとりよがりだ。
そもそも自分はシスターで、トロイをこの世からなくすために旅をしている。その目的を失ってはいけないはずだ。
「すみませんキリさん。いまの話は全部忘れてください」
「はぁ?」
「なんて言うか、うん。全部綺麗さっぱり忘れてくださって大丈夫です! 私ちょっと最近幸せすぎて甘えてたっていうか。うん、すみませんでした!」
「ってオイ」
「いいんですいいんです。今度のことは全面的に私が悪かったです。本当に、変なこと言っちゃってすみません」
エルーの謝罪に、キリは盛大なため息を落とした。
はぁぁぁぁぁと、テーブルに穴でもあけてしまいそうなため息だった。
なにか言おうと口をもぞもぞと動かしてやめる。
それはまるで、さっきまでのエルーのようでもあった。
「キリさん?」
「あー、いやー別にー。なんにも」
そう言うわりに、てのひらに少しこもった力はなんだろう。
聞いてもきっとこのひとは、教えてはくれないんだろう。
そういうことを思うと、やはりスイのようになりたい。
「スイさんならキリさんの考えてることとか、聞かなくてもわかったりするのかなぁ」
元恋人。という立場でなくても、ふたりには幼なじみという絆がある。自分の一ヶ月と少しなんて些細な時間じゃなく、それこそ何年という積み重ねが。
ただでさえ表情の読みにくいこのひとを、エルーが理解出来るようになるまでもかなり必要になるだろう。
洞察力や観察眼なんてものも、自分は持ち合わせていない。
「……あんたさぁ、本当に」
「なんです?」
心底疲れ果てた口調のキリに、一体何事だろうと顔を覗きこんだ。
ふたりとももう食事はそっちのけで、皿の上の料理は減る気配がない。
「あいたっ」
ぴんと額を指で弾かれた。
「もうちょっと本当に周りみろっての。でなきゃもっと上手く隠してくれないと、オレだってずっとこんなスタンス続けらんねーよ?」
「え、は。……え?」
デコピンされた箇所をてのひらで押さえながら、至近距離で笑うキリの表情が意地悪なものかと思えばひどくひどく優しくて、エルーは面食らってしまった。
「だから、早く気づくなり白旗揚げるなりしてくれると助かる」
「はぁ」
よくわからなくて曖昧な返事をすれば、キリは鼻歌なんて歌いながら食事を再開させている。
あんたも早く食えよ。なんて言いながら。
結局なんだかんだで、彼のペースだ。
悔しいけれど、誰かがいつか言っていた。多分エルーよりずっと年上のシスターの言葉だ。

――恋はね、先に好きになった方が不利なのよねー。

そう言いながら、どこか幸せそうに笑う姿が印象的だった。
というか、それが本当ならエルーが絶対的に不利だろう。
キリの言葉の意味も真意もわからないまま、エルーは仏頂面で食事をすすめる。
その隣りでぐったりしたキリがため息をついていたけれど、その理由を彼女がしるのは、もっとずっと後の話だ。






END

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知らぬはなんとやらです。
キリには全部筒抜けです(笑)

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