いまはまだぎこちなくても、
いつかこの目にする日がくるだろうか。
この手に、する日がくるだろうか。




いつか未来へ




ファランの修行という名のダンスレッスンがはじまって、数日がたった。
エルーのリードの元、それなりに形になってきたけれど、キリの動きはいくらかのぎこちなさを残していた。
「キリさん、そこ足の出だし違います」
「え、あ……。うわ、」
指摘された途端わけがわからなくなっキリは、足を出したり引っ込めたりしているうちに、大きくバランスを崩してしまった。
どすんと鈍い衝撃とともに、尻餅をちてしまう。
「いってて」
「大丈夫ですか? キリさん」
「あっはははははは! キリだっせー!」
「うるせぇぞスイ!」
手を差し伸べてくれたエルーの手を借りて立つものの、男としてのメンツはガラガラ崩れっぱなしだ。
プライドを大いに刺激してくれる、幼なじみの大爆笑に声を荒げるが、もちろん効果はない。
「あんにゃろー」
毒づいてはみるが、どうにかしようという気力は沸いてこなかった。
たかがダンス。されどダンスだ。
全身運動だから、かなり体力を消耗する。
「少し休憩しましょうか?」
キリに手を差し伸べたままエルーが言うが、キリは首を横に振ってその提案を却下した。
かっこ悪いではないか、同じだけの練習をして女の子であるエルーより先に、自分が音を上げたりしては。
「このくらいどうってことないさ。あんたが休みたいって言うんなら、休んでやってもいいけどな」
にっと笑って挑発する。
自分も大概だが、彼女もそれなりに負けず嫌いだ。
案の定ムッと眉を寄せて、望むところですと声を張り上げた。
「じゃあ行くぞ」
「はい」
息をととのえて、呼吸を合わせて、互いの動きに最新の注意を払う。
ぴんと空気が張り詰める瞬間を、キリは密かに気に入っていた。自分が何者にでもなれるような、不思議な感覚が身を包む。
フレアを使って、重い荷物を持つときとも違う。身の内から沸きあがる正体不明の熱は、どこからくるのかさえわからないが、紛れもなくそれは彼女との一体感が生み出している。

ぐうぅぅぅぅぅぅぅぅ

低い唸る地鳴りのような音に、ぴたりと双方動きを止めた。
「…………」
「………………」
「なぁ」
「…………はい」
「飯食おっか」
「………………すみません」
音の発生源は、エルーの腹だった。
そういえば、朝からぶっ通しで踊りっぱなしだと思えば、キリも空腹を覚えた。
「あははははははははは! すげっ、すげー音! あっははははははは」
「そこまで笑わなくたっていいじゃないですか!」
地面を転げまわって大笑いするスイに、顔を真っ赤にしてエルーが言い募る。
さすがに可哀想に思えて、キリも口を挟もうかと思ったが、近場の木の影でファランが肩を震わせているのをみていたら、タイミングを逃してしまった。
あの男も、意外ととぼけたところがある。
「キリさん、どうかしたんですか?」
木陰の涼しいところに置いておいた、弁当の入ったバスケットを手に持ったエルーが、不思議そうにキリをみた。
スイとの言い合いは終わったらしい。
「いや、なんか不思議だなーって思って」
「なにがですか?」
「いつの間にか馴染んでるだろ、この状況に。オレにしてもスイにしてもあんたにしても。こんな生活いままで想像したこともなかったのになーって、改めて思ったんだよ」
そう言って、エルーの手からバスケットを取り上げるとその場にならんで座った。
汗だくになった身体に、撫でつけるように吹く風が気持ちよかった。
「そうですね。私もまさかこんな風になるなんて、思いませんでした」
静かな声で、エルーが言った。
「もし叶うなら、シスターなりたての自分に言ってやりたいですね。諦めなければ希望はあるって。昔は、ただただ自分の運命を呪ってましたから」
そういえば、ハイネと話していたときにも、そんなことを言っていたなと思う。
想像しかできないが、目の前で家族を失くすことも、命の期限を決められることも、今よりも幼かったエルーには相当きつかったのだろう。
スイは自分の分だけ持ってどこかにいってしまったし、さてどうするかとキリは頭をかいた。
「私、たまに考えるんです。トロイのない世界が実現したとき、キリさんにはどうお礼をしたらいいんだろうって」
さらりと風がエルーの髪を揺らす。
薄青い彼女の髪はきらきらと光を散らし、空気に溶けてしまいそうだと思った。
「危険に晒して、こんな旅に付き合ってもらって、感謝祭の準備も投げ出させて、いろんなリスクを背負ってもらってるのに、それに見合うお礼がわからないんです」
沈黙が落ちる。
キリはなにも答えずに、バスケットからサンドイッチを手に取った。
ここで謝罪をと言わないだけ、進歩なんだろうなとは思う。
今までならここで、ものすごくすまなそうな顔をして謝っていただろうから。
口に出すのが万が一のことがあれば。ではなく、トロイがなくなったらというのも合格点だ。
でも、なんとなく面白くなかった。
「いつまでも、あんたは他人行儀だよな」
「え……?」
「トロイのこともこの旅のことも、いつだってあんただけの問題で、オレは巻き込まれた可哀想な一般人。そんな風に感じる」
腹が立つ。というのが正しいだろうか。
いつになったら自分は、彼女の内側に入れるのか。
相変わらず彼女の中では、『巻き込んでしまった人』という立ち位置にいるような気がする。
「オレは別に恩に着せたいわけじゃない。自分の意思であんたに関わって、自分の意思でここにいるんだ」
後悔なんて一度もしていない。
いつだって考えるのは、どう危機を切り抜けるか。それだけだ。
「だから、礼なんていらないよ」
「キリさん」
空腹だったはずのエルーが、あんまりサンドイッチに手をつけていないから、ひとつ手にとってエルーに手渡した。
「え。あ、ありがとうございます」
「どうしてもって言うんならさ、笑ってよ」
「え?」
「お礼の話。物とかそんなのいらないから、あんたが腹の底から嬉しそうに笑ってくるれんなら、オレはそれが礼でいい」
キリの言葉に、ほんのりとエルーが頬を赤く染める。
目を大きく見開いて、なにかを言いかけてやめる仕種をしてから、はむっとサンドイッチにかじりついた。
「……キリさんのそれって、天然なんですか?」
「それって、なにがさ」
聞くが睨まれるだけで、答えは返ってこなかった。
「いえ、いいんですけど。なんていうか罪作りな人だったんでしょうね、キリさんて」
「なんだそれ」
要領がつかめないエルーの言葉を、キリは解読することをあきらめた。
女ってよくわからん。が、正直な感想でもある。
「笑いますよ」
「なにが」
「この世界からトロイがなくなったら、私は馬鹿みたいにはしゃいで、笑って、笑って、笑い転げてやります」
そんなのは、当たり前で、当然で。だからお礼になんてなりはしないと、エルーは言う。
この話題をこの先続けても、きっと平行線になるんだろうとキリはしっているから、なにも言わずに黙った。
エルーの笑った顔も、泣いた顔も、怒った顔も、驚いた顔も、キリは全部みてきた。
感情と表情が直結していて、コロコロとよく変わるなぁと感心することもある。 でもまだ、エルーの本当の笑顔を、心からの笑顔を、みたことはないんじゃないだろうかと思う。
「――絶対、だな」
「え」
「トロイなくなったら笑い転げるんだろ? 約束したからな」
「はぁ」
よくわからないという顔をするエルーに、自分だってよくわからなかったが、なんでもない顔をしてキリはサンドイッチを頬張る。
自作のサンドイッチはパンにちょうどいい塩梅で味がしみていて、我ながら美味かった。
それは、近い未来か遠い未来か。
きっとたどり着くのは困難で、何度も何度も傷ついていくのだろうけれど。
その先にあるのが彼女の笑顔なら、きっと自分はたどり着いてみせる。
いつかの未来へ。






END
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キリって正直、なにを考えているのか想像すら難しいなと思ってます。
ただ、ものすごい信念を持ってる子だと思います。

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