たとえこの手が、いつか離れてしまうのだとしても。




きみの手




キリに命を救われて、旅をはじめて、生活のことごとくを一緒することも慣れたし、自分の隣りに彼がいることも、エルーの中では当たり前になっていた。
トロイのない世界を作るために。
そう決意をして旅を続けているはずなのに、エルーは最近違うことばかりを考えてしまう自分を自覚している。
「どうした? フォークじっとみつめたまま固まって」
「あ、いえ。すみませんなんでもありません」
滞在中の宿の一室。
キリの作ってくれた朝食を口に運びながら、エルーは小さく笑って首を振る。
具沢山のスパニッシュオムレツと、あらかじめ大量に買い込んでおいたパンとポタージュスープ。
女性である自分より、男性であるキリの方が料理が上手いという事実に、多少落ち込んだりもしたがいまではすんなりと受け入れている。
いつかは自分もこのくらいの料理を作れるようになりたいものだと思いながら、スープを一口含めば野菜のうまみと甘味が口の中に広がった。
「相変わらず美味しいですねぇ」
しみじみと呟いたが、キリの探るような視線は緩むことは なかった。
どこか呆れの含む視線を、それでも無視し続ければ焦れたようにキリが口を開く。
「あんたさぁ、すーぐ感情顔に出るとこ少し自覚した方いいんじゃない?」
「う…っ」
上手いこと隠せていたと思ったが、そうでもなかったらしい。失態だ。
ただでさえキリは、人の感情を察知することに長けているのに。
「あんたがわかりやすすぎるだけだろ」
手厳しい突っ込みに、エルーはなにも言えなくなった。
でも本当にキリはエルーのことをよくみているから、自分だけのせいではないと思いたい。
「いかにも悩んでます考え込んでますって顔されて、一緒に飯食う身にもなってくれよ」
「す、すみません」
「いや、そこで謝られても困るけどさ」
ふと、繋がれたままの手に視線を落とす。
キリの温かくて大きなてのひら。物を造る人の手だ。
いつもエルーはこの手に救われてきたし、これからも救われていくのだろう。
自分だけでなく、世界を救う大切な手。
手だけではなく彼自身が、エルーだけでなくすべての人類の希望だと信じている。
「あんたがひとりで考え込むと、ロクなことにならないって身に沁みてるからな」
「……な、なんのことでしょう?」
キリの視線を不自然によけて、エルーは口をむりやり笑いの形に変えた。
そう、キリがエルーを必要以上に目を向けてくるのも、過去に自分がやらかした無茶が原因だ。
もし今また同じようなことがあったら、自分は何度だって同じ選択をするけれど、それを口に出すわけにはいかない。
また服に、微妙なクマのアップリケでもつけられたらたまらないからだ。
「んで? なに考えてんだ?」
どうやらキリは譲る気はないらしい。
これは白状しなければ、いつまでも聞いてくるのだろうと思えば、隠し事の苦手なエルーも口を開くしかないのだろうか。
ばれてどうなるわけでもないが、改めて言葉にするのは、ものすごく恥ずかしかった。
「おい、あんた大丈夫か? 顔赤いぜ?」
「い、いやー」
やはり言えない。
けれどチクチクと刺すようなキリの視線にも、耐えられる自信がない。
「あ、あの。笑わないでもらいたいんですけど」
結局耐えられなくなったエルーはそう前置きをして、けれどやはりキリの目はみれないままで、うーと唸り声を上げた。
ああああ、やっぱり言いたくないなぁ。
「……手を、」
「手?」
出会ってから、ほとんど離れることのなかった手。
ずっと当たり前のように、エルーに熱を伝えてくれた手。
トロイに感染して、触れられるひとたちはみんなトロイ感染者で、トロイ感染者の肌は凍るように冷たくて、キリの手に触れたときは無条件に感動したくらいだ。
本当は当たり前のようにどこにでもある、ひとの温もり、体温。
そんなものにまた、自分が触れられると思わなかったから。
「――だから、いつか。この手が離れてしまうのが、寂しいなーって思ってしまったんです」
結局言い切ってしまった。
恥ずかしい。本当に恥ずかしい。
キリの反応は気になるが、顔が上げられないエルーはただただ朝食の乗ったテーブルをみつめていた。
するとキリが軽く息を吸ったのがわかった。
「ばっかじゃね?」
さらりと、本当にさらりと言われエル−は真っ赤なままの顔を上げた。
「そりゃ、キリさんからすればくだらないことかもしれませんけど!」
「あー違う違う。そうじゃなくてさ」
くるくると器用にフォークを回し、食事を続けながらキリはなんでもない顔をして言う。
「オレたちの手が離れるときはトロイの治療法がみつかったときなんだし、別にお互い生きてりゃいつだって手ぐらい繋げるだろ」
「そりゃ、そうですけど」
「あんたって、変なとこで悩むよな。女の子ってそういうもんなのか?」
「しりませんよ、スイさんにでも聞いてみてください」
少しむくれたエルーは、キリと視線を合わせないまま食事を再開させた。
スイに一般女性の感覚が備わっているかと聞かれれば、付き合いの浅いエルーでさえノーと答えられるが、あまりにあっさりすぎるキリの反応が、少しばかり薄情だとも思ったのだ。
「スイに聞いたってなー。あいつの頭ン中戦うことくらいしかないし」
ガリガリと頭をかくキリに、ふとエルレインはスイとキリが何度か付き合っていた事実を思い出した。
三回告白されて、三回振られて。
もしまたスイに告白されたら、キリは付き合うのだろうか。
「…………」
ツキリと鈍い痛みが胸を刺し、エルーは首をかしげる。
トロイの発作とは違う、全身に痺れをもたらす痛みだ。
「どうかしたのか?」
胸を押さえて黙るエルーに気がついたらしいキリに、エルーも首をかしげたままなんでもないと告げた。
そう、なんでもない。
痛みは意識した途端跡形もなく消え去ったし、息苦しさもなにもない。
「どうかしましたか?」
ふと視線をキリに向ければ、今度は彼が妙に難しい顔をしていた。
「……いや」
曖昧な返事だけをして、キリが黙ってしまった。
繋がったままのてのひらを持ち上げられ、彼は何故かその手をじっとみつめていた。
「キリさん?」
なにが起こったのかと思ったが、キリからの答えは返ってこない。
ただじーっと、手をみている。
「たいして深く考えたことなかったけど、確かにいつか離れるんだよなーって思ったらなんか変な感じするな」
それは、エルーに話しかけるというよりも、単なる独白のようだった。
しみじみと呟かれた言葉に、エルーは思わず目を大きく見開いた。
「……なんだよ」
エルーの視線に気づいたらしいキリが、バツが悪そうに頬をうっすら赤く染めてエルーをみた。
少しきつめの目線は、おそらく照れ隠しだ。
わかるからエルーは小さく笑って、首を横に振った。
「いいえ、なんでもありません。そうだキリさん、今度これ作り方教えてくれませんか?」
そう言ってエルーが指さしたのは、キリの作った料理だ。
いつか自分がシスターを辞めて普通の一般人となったとき、料理のひとつも作れないようでは、お嫁にもいけない気がする。
「いいじゃん別に」
「よくありませんよ」
「いいんだって」
もうこれ以上の会話はないとばかりに、食事を再開させたキリの態度は頑なで、エルーはなんなのだと肩をすくめる。
ああでもなんだか変な話だ。
自分は一生シスターで。というよりも、二十歳まで生きられないと思っていたのに、もっと先の未来に目を向けている。
今だって確実に生存出来る可能性はないのに。
病気のことも勿論だが、万一のときには自分の身を呈して守る覚悟もある。
これはキリには伝えていないが、ばれたらそれこそ、全身クマのアップリケではすまないだろうなと思う。
「……なに笑ってんだよ」
「いえ。なんか不思議だなーって思ったんです」
守る云々は言わないまま、未来を当たり前のように夢みれることが不思議だと伝えた。
誰にでも与えられる権利。自分にはなかった権利。
それが今、目の前できらきらと輝いてエルーの眼前にある。
「なに言ってんだよ。不思議じゃない、当たり前になるんだよ」
強い意志を秘めたキリの目が、エルーを真っ直ぐに射た。
まるで松明の火が移ったように、キリの強さはエルーに勇気をくれる。
彼がいるから、この手があるから、何度絶望の淵に立たされても自分は何度でも戦える。
「そうですね」
すべては全部この手からはじまった。
いつか離れる日がきても、いつか別れの日がきても。
まずは今を精一杯生きることからはじめよう。
そう伝えたら、キリは驚いたように目を見開いてから、当然だと笑った。






END

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初書きキリエル。
このふたりは、恋だ愛だと自覚するのが恐ろしくスローな気がします。

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