望むことは、
たったひとつだけ。
いつもいつでも、自分を照らすヒカリ。




クライフォーザムーン




「……」
ぼんやりと、日番谷は目を覚ます。
薄暗い執務室の中、寝てしまったのかと頭を振った。
机の上には、未整理の書類の束。
松本を先に帰らせ、自分だけが残ったのだった。
「……もう、夜か」
窓の外に、ぼんやりと月が浮かぶ。
細い、細い、上弦の月。
月明かりと呼べる程には強くない明かりが、わずかに室内を照らすだけなのに、なぜか日番谷は、明かりをつけようとはしなかった。
「……」
瞼を揉んでほぐして、背もたれに身を預ける。
ギッと軋んだ椅子は、床を鳴らした。
うたた寝とはいえ、少し寝たから、いくらか頭がまともに動くかと思えば、そんなこともなかった。
なぜか、目の前の書類に集中できずに、日番谷はぼんやりと月を見上げる。
「月が、欲しいと泣くこども。か」
そんな話を聞いたことがある。
ないものねだりの、たとえた話だったか。
「別に、月なんていらねえけどな」
自分の欲しいものは、そんなものではないし。
「……」
なにか思考もおかしな方向へいってるなと、気分転換に日番谷は、茶でもいれようと立ち上がった。
「?」
なんだろうか、扉に手をかけた日番谷は、ぴたりと動きをとめた。
足音がする。
弾むように、軽い。
たとんたとんと、真っ直ぐこちらにむかってきていた。
「……」
正直、驚いて目を見開く。
けれど、口許は緩んでいた。
戸を開けようとしていた手をとめて、日番谷はきびすを返す。
さぁて、どんなイタズラを仕掛けてやろうか。なんて、先程まで頭がぼんやりしてたなんて、信じられないくらいに回転をはじめる。
ふと、窓の外を見上げれば、月。
とりあえず、自分の席に座ってみよう。
おそらく、彼女は。
暗い部屋に目を悪くすると怒って、明かりをつけてくれるだろう。
その後は、笑って、自分の名を嬉しそうに呼ぶのだ。
「日番谷くん。乱菊さんから今日残業だって聞いたから──」
ノックとともにガラリとあいた戸と、声が、途切れた。
廊下から伸びたあかりが、わずかに日番谷を照らす。
「よォ」
素知らぬふりを決めこんで、挨拶代わりに片手を挙げれば、雛森の表情がみるみる変わっていくのがわかった。
「日番谷くんっ!」
ビリリと、窓が震えるほどの声量で、雛森が声を荒げた。 ピシャリと荒々しく扉は閉められ、真っ先に彼女は明かりをつける。
「なにやってるのよ、こんな暗いところで仕事してっ! 目が悪くなるでしょっ」
「……悪ぃ」
予想以上の剣幕に、日番谷はついた頬杖していた手から顔を離し、驚いた顔で、つい雛森を見上げてしまう。
しかし雛森はそれに構わず、まったくもうっ、日番谷くんはっ。などと、怒っていた。
なのに、それをどこかで喜んでいる自分がいることを、日番谷はしっている。
月なんて、別にいらない。
ほしいとさえ、思わない。
隊長の地位や、強さでさえ、なきゃないで問題はない。
ただ、本当に欲しいのは。
「雛森」
ちょっとこいと、机のむこう側の彼女を手招きし、呼んだ。
怒っていても、雛森は素直にやってくる。
まだちょっとだけ、怒ったような顔をしながら。
日番谷の企みなんて、気づかずに。
「な──。ふわ、」
ぐいと力任せに腕をひけば、雛森の身体は日番谷に倒れこんでくる。
それは、彼女が自分を信頼してくれているからこそで。
でなければ、副隊長にまで登りつめた雛森の、不意なんてそうそうつかめやしないだろう。
「日番谷く、」
自分を見上げてきた雛森の、額にかかる髪を、さらりと撫でて、口唇をおとす。
たちまち真っ赤になった彼女は、わたわたとうろたえた。
「いまさら、なに赤くなってんだよ」
からかうように告げ、指先で顔の輪郭をなぞるように撫でれば、雛森は更に頬を朱に染めた。
「っ、だだって。いま、お仕事ちゅ…、っ」
逃げるように身体を起こした雛森を、逃がさぬように押さえ、抱きしめた。
「関係ねえよ。いまは、俺とお前しかいねえだろうが」
あっさりと、なんてことなく告げれば、しばしの沈黙のあとに続いたのは、彼女からの降伏宣言。
「……ずるい」
日番谷はのどを鳴らして笑うと、そっとおとなしくなった雛森の耳元へ、囁いた。
「お前がいりゃ、それで充分だ」
不思議そうな顔をした雛森は、けれどあたしもと、小さく頷いて、照れたように笑う。




月も、地位も、金さえも霞むほど。
大切な、大切な。
たったひとつだけの──。






END

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