左手右手




ぎしぎしと、床を踏むたびに鳴る。
そのたびに勇音は、身をすくませた。
理屈ではわかっている。
自分だって前線に出ることこそ少ないが、死神で。副隊長で。
他隊の副隊長からすれば、多少戦闘能力において差は出るものの、三席には負けないつもりだ。
けれど、こらえきれずに呟いた。
「やっぱり、怖いなぁ」
手に持った明かりを、頼りなく思いながらも、しっかり握りこんで、一歩一歩進んでいく。
正直、泣きたくて、正直、帰りたかった。
四番隊は、瀞霊廷内のあちらこちらに救護詰所を配していて、各所に何人も詰めている。
勇音がいまいるのは、最近老朽化を理由に使われなくなった詰所だった。
近くに、もっと設備のいいものが建てられ、いまでは誰も近寄らずとり壊しを待つばかりの。
なぜそんな場所にきたかといえしば、勇音がなによりも信頼し尊敬する卯ノ花からの言いつけだった。

勇音、すみませんが使いを頼まれてくれませんか。

そう、言葉こそお願いだけれど、決定事項を告げる顔で言われれば、勇音に否はない。
断りたくてたまらなかったけれど。
打ち捨てられ、人気のなくなった建物の劣化は早い。
廊下にはうっすらとほこりがたまり、くもの巣が張っている。
ひび割れた壁や、がたがたと鳴る窓。
それは、ひとがいたときには気にもしなかったことだった。
「……怖いというより、寂しい、の、かな」
ぼんやりと思い至れば、さきほどまであった怖さは、ぱっと消えてしまった。
明かりを掲げて、あたりを照らす。
外は天気がよくて、明るい。なのにここは、こんな小さな明かりを灯さなければ、すぐ上の天井のしみさえみえないくらいに、暗い。
「…………」
なんとなく、壁を指で撫でてみる。
指でなぞったところだけ、色がかわってしまう。そうとう汚れているらしい。
「あ、いけない」
言いつけられていた用事をふと思い出して、勇音は奥へ奥へと進んでいく。
頼まれた用事は、些細なことだった。
備品であるガーゼを一組、ここに忘れてきたらしいので備品庫までとりにいって欲しいとか。
「でもここを引き払ったとき、ちゃんと確認したはずなんだけどなぁ」
備品は、たとえ綿棒一本、脱脂綿ひとつといえど大事な支給品だ。
お金だってかかっているのだから、と、勇音は自ら、在庫の確認をしていたから。
けれど、卯ノ花があるというのだから、きっとあるのだろうと思いなおす。
この役割を、副官である自分にしたのもきっと、勇音が在庫確認担当だったことへの配慮からだ。
自分のミスは、自分で処理しなさい。
その上で困難ならば、上のものがそっとフォローをすればいい。
それが、卯ノ花の方針だ。
副官だろうが、新人だろうが、少し前まで激務に忙殺されていようが、それはかわらない。
「ええ、と。備品庫は」
勇音自身あまり訪れない詰所なので、おぼろげな記憶をたどりながら先を急げば、目的の部屋はすぐにみつかった。
「え?」
ドアに手をかけ、開けようとした勇音は、思わず振り返った。
ありえない人物の霊圧が、近づいてきている。
「な、なんで」
ばたばたと、存在を隠すことなく、むしろ主張さえしているそのひとは、あっという間に勇音の眼前へとやってきた。
「…………檜佐木、くん?」
「よ」
そのあたりで偶然あったような素振りで、檜佐木は片手をあげた。
ここが、取り壊し目前の建物内ではなくて外なら、勇音も笑って挨拶を返しただろうけれど。
「なんで、こんなところに?」
挨拶も忘れ、本当にぽかんとしたまま問えば、檜佐木はなにか思い出したように笑った。
「卯ノ花隊長から、伝言を頼まれたんだ」
「檜佐木くんに、ですか……?」
それはいくらなんでもおかしいと、勇音は訝る。
檜佐木と勇音はたしかに恋人同士だけれど、だからといってこんな伝言をわざわざ檜佐木に頼むだろうか。
そもそも檜佐木は九番隊の副隊長だし、四番隊の人間ですらないのに。
そんな思いが顔に出ていたらしい、檜佐木が苦笑して勇音の頭を撫でた。
「とりあえず伝言は、頼んでいたものは自分の勘違いだったってことらしい」
「勘違い」
それはちょっとありえない、思いながら頷いた。
「それで、今日はこのままあがっていいそうだ。最近ずっと働かせっぱなしでろくに休めてねぇだろうから、お詫びも兼ねてってことだそうだ」
「…………」
楽しげな檜佐木の顔と言葉に、卯ノ花の真の意図を悟って、つい笑ってしまった。
おそらく、他の隊員が忙しいと駆けずりまわっている総合救護詰所で、今日はもういい帰れと言われたって、勇音は帰らなかった。
おそらく、その伝言をもってきたのが、部下であるなら勇音はそれはできないと言って、総合救護詰所へと戻っただろう。
「卯ノ花隊長は、すごいです」
そう呟けば、檜佐木も複雑そうな顔をして頷いた。
多分お互いに、すごいと思っている部分が違うのだろうと想像できる。
「で、だ」
差し出された大きなてのひらに、つい反射的に自分の手を乗せてしまった。
その手をぐっと握られて、気がついたけれどもう遅い。
「俺らはめったに時間なんて合わねぇし、せっかく卯ノ花隊長が気を利かせてくれたんだ。少しぐらいまったりしたって誰も文句は言わねぇだろうさ」
少しだけ、迷った。
けれどその前に、答えはもう出ていたのだとも思う。
だって、この手を自分はとった。
促されるよりも先に。
なら。
「はい」
笑って、檜佐木にならんで歩く。
勇音が持っていた明かりは、いつの間にか檜佐木の手の中だ。
ふと、横目にすすけた壁をみる。
不思議と、さびしい感じもしなくなった。
それは、きっと。
「どうした?」
「いえ」
つながっている右手と左手。
このおかげに、違いない。






END

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